] 落語大好き一家の日記 ・・・毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを! 柳家小三治と古今亭志ん朝
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ちょっと前の話。

妻が落語の番組を録画したのがあるけど、観る?と言う。

聞いてみると衛星放送の番組を録画していたのだが忙しくて見そびれていたのだという。

「落語って、誰の?」
「え~っとね、柳家小三治と古今亭志ん朝。」
「そりゃ、観るよ。すぐにかけて。」

現在最高の名人の一人小三治さんと2002年に亡くなった不世出の天才、志ん朝さんの映像を同時に見られるなんて、こんな贅沢な話はめったに・・・。

妻はやらなければならないことがあるので私はあとで一人で観る、と言うわけで息子と二人でテレビの前に。


番組はNHKで1978年に放映された物らしい。

と言うことは、30年前。

二人の名人がともにまだ30代の頃の映像。

最初は小三治さんの「天災」


「天災」あらすじ
短気で喧嘩っ早い八五郎は夫婦喧嘩で嫁を殴り、止めに入った実の母にまで手を出してご隠居のところへ離縁状を書いてくれ、と転がり込んだ。あきれ返ったご隠居は「紅羅坊奈丸(べにらぼうなまる)」という心学の先生を紹介した。

ご隠居からの手紙を読んだ奈丸は、八五郎に「短気は損気」「孝行のしたい時分に親は無し。さればとて、石に布団を着せられず」「ならぬ堪忍するが堪忍」などと諭したが一向に理解しない。そこで例え話をする。


「道を歩いていると丁稚が打ち水をした水が着物の裾に掛かった。どうする?」「丁稚を張り倒して主人の家に殴り込む」

「屋根から瓦が落ちてきて頭に当たった。どうする?」
「その家に殴り込む」
「空家なら?」
「大家の家へ行く」


「では広い野原を歩いているとにわか雨が降って来て全身濡れねずみ。傘も雨宿りの場所もない。どうする?」

「うーん・・・諦めるしかないな」

「丁稚に水をちょっと掛けられて怒るのに?」

「天とは喧嘩できない」

「では、丁稚に水を掛けられても、瓦が屋根から落ちてきても、天のしたこと、『天災』だと思って諦めなさい」


こう諭された八五郎は、納得して家に帰る。するとなにやら長屋が騒がしい。近所の熊五郎が新しい女を連れ込み、そこへ別れた前の嫁が戻ってきたので大喧嘩になっていたというのだ。さっき教わったばかりの話を熊さんにしてやろうと喜び勇んで乗り込む八五郎。


ところがうろ覚えで覚えたつもりになっていた八五郎の話はチンプンカンプン。「タヌキはタヌキ」とか
「香々(お新香)の漬けたい時分に茄子は無し。さればとて、カボチャは生で齧られず」
「奈良の神主、駿河の神主」

もう無茶苦茶である。
例え話の方も
「広い野原を歩いているとにわか雨、そこへ丁稚が水をまく。すると丁稚は屋根から・・・」とまったく意味不明。

「これもすべて天のしたこと、『天災』と思って諦めなさい、天とは喧嘩できないから」

「天災じゃない、うちは『先妻』でもめてるんだ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小三治さんの威勢の良い職人、八五郎の表現が最高。
それに後半のチンプンカンプンな話っぷりがなんともおかしい。

早口の江戸弁、それに昔の言葉が多いので息子に分かるのかな、と横を見ると、
息子は腹を抱えて笑い転げている。

「丁稚が屋根から落っこちてきて、瓦が・・・だって!あっははは・・」

心配することはないようだ(笑)

噺はもちろんだけど小三治さんのしぐさや表情がいいねぇ。



続けて出てきたのが志ん朝さん。出し物は「たがや」



「たがや」あらすじ
 両国橋の上は花火見物の人でいっぱいになっている。そこへ本所の方から馬上ゆたかに塗り笠の旗本。供の侍二人と槍持ちが一人で、花火見物承知で無粋にも強引に橋を渡り始めた。
この時反対の両国広小路の方からやって来た”たが屋”さん。道具箱と青竹の”たが”を丸めて担いでいたが、人々に押されながら橋の中央まで来た時たまらず落としてしまう。すると青竹のたががピィーンと伸びて馬上の殿様の陣笠を跳ね飛す。笠は川の中に落ちて、陣笠の中の土瓶敷きの様なものが残って、鼻から血を出しているので、回りの者が笑ったので、殿様はますますカンカンに怒った。

「無礼者なおれ!。屋敷に来い!」
「お屋敷に行ったら首が無いので、親に免じて許してください。」
何度も謝って許しを請うが「ならん!」の一言。

たが屋さんついにけつをまくって、粋のいい啖呵で毒づく。
殿様、我慢が出来ず、供侍に「切り捨て~ぃ」。 
ガサガサの赤サビだらけの刀で斬りつけるが喧嘩慣れしたたが屋さんに、反対に二人とも切り捨てられてしまう。
殿様槍をしごいてたが屋に向かうが、せんだんを切り落とされ、たが屋の踏み込むのが早く、殿様の首を「スパッ」。中天高く上がった首に花火見物の人々が「たがや~」


志ん朝さんは短い枕から噺に入り、淀みなく噺が進む。

羽織を脱ぐ仕草も流れるようで、ひとつひとつの動きにも語りにも無駄が無い。

まるでそこに花火見物の江戸の町人たちの姿が見えるよう。

あっという間に下げの「たがや~」まで。


息子の方を観ると、ずっと夢中で観ていた息子が一言。
「この人、かっこいいね!」


ちょっとごつごつした職人の仕事を感じさせる小三治さんの落語とまるで剣の達人のような志ん朝さんの落語。

どちらが上とか野暮なことを言っちゃいけない。

良いものはいくつあったって良いのだから。

こんな良い落語を息子と二人で観る。

これ、私にとって最高の贅沢。


満腹じゃ(笑)


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